2005年02月03日

なぜ資金管理を嫌ったのか

男にも更年期障害はあるそうな。

●投資界のスター、ラリー・ウィリアムズに関する事で一番驚いたのは、彼が何よりもマネー・マネジメント(資金管理)を重要視している、という事だった。

それに気づくまでの私は、投資とは堅牢な売買システムを作り上げる事によって成り立っているのだと思っていた。「勝率の高いシグナルを発見しさえすれば、後は資金をありったけぶち込むだけではないか」。そんなふうに考えていたのだ。

しかし、事実は違った。

資金管理は何よりも重要であり、それこそが金持ちになる唯一の秘訣なのだ。確かに、チャート上から興味深いシグナルや、利益をもたらすパターンを探すのは大事だ。ラリー・ウィリアムズはそうしているし、及ばずながら私もそうしている。投手のクセや配球の傾向を読むのと同じで、それは打率(勝率)を大いに高めてくれるのだ。データを重視した野村ヤクルトがいかに強かったかは、いまさら私が語るまでもないだろう。

しかし、それでも最重要なのは、マネー・マネジメントなのである。理由は、100パーセント確実にトレンドを約束してくれるシグナルなど、どこにも存在しないからである。

かつての私は、それがどこかにあるはずだと思っていた。もちろん、そんなものは実際には存在しない。ある種の価格の上昇は、強烈な上昇トレンドをもたらす傾向があるかもしれない。しかし、終わり値が2日連続で上がろうと1日下がってから3日連続で上がろうと、それ自体は明日以降の価格について何の保証もしてくれないのだ。明日になればトレーダーを動揺させる強烈なニュースが発表されて、その結果、相場も強烈に反転するかもしれない。いつ、どんなニュースが発表されるかを予測できない以上、トレーダーが未来の価格を確実に予測するのは不可能だ。シグナルを参考にするのは良い。しかし、シグナルと運命を共にしてはならない。

にもかかわらず、私はあるシグナルを過信して、ありったけの資金をそれに投下したのである。「ビン・ラディンはここにいる」と信じ込んで、確実に殺すために全弾をぶち込んだわけだ。残念ながらそこに髭おじさんはおらず、そればかりか、相場の反転という名のテロリストがやって来た時に、私の弾薬は底を突いていたのである。応戦も撤退もままならず、私はテロリストから全身に銃弾を浴びた。

要するに、稼ぐ事に夢中になってはいけないのだ。我々トレーダーの目標は、金持ちになる事、つまり大金を残す事であって、一度にたくさん稼いで一度にたくさん失う事ではないはずだ。だとすれば、一番稼げるかもしれない(あるいは、一番損するかもしれない)買い方ではなく、一番資金の残る買い方を尊ぶべきだろう。資金の少ない私のような小口トレーダーにとって、通常それは1枚だけ売買する事を意味する。

今では私は、カルト宗教から改宗している。かつて信仰の対象であった例のシグナルは、今では無批判に従うべき教祖から、参考にするべき友人へと地位を変えた。代わりに絶対的な信仰の対象となったのは、マネー・マネジメントという名の教祖である。彼は相場の先行きについて一切予言しようとしないが、それでも私の口座を保護してくれてはいる。
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2005年02月02日

どこからトレンドなのか?

手術シーンは苦手。

●最近ある中古品を買おうとしているところだ。かつては1万円数千円が普通だったその品物は、残念ながら2万円以上にまで価格が上昇している。きっと誰もが、「もっと条件が悪くなったら困る」とでも考えて、慌てて買いに走っているからだろう。私自身、この際価格や条件には目をつぶって、とりあえず1つ購入するべきではないかと考えているところだ。

相場に置き換えて言えば、私はその商品に対して成り行き注文を入れようとしているわけだ。このままでは置いていかれるかもしれないという危機感を抱き、値段は幾らでもいいから参加させてくれと懇願している状態である。きっと日々、私のような新たな購入希望者が加わって行き、それがさらに価格を押し上げるはずである。最後には、先物取り引き同様の狂ったような価格の上昇が起こるのかもしれない。

こうした連続的な価格の上昇ないしは下落を、相場の世界ではトレンドと呼ぶ。それらはトレーダーにパニックが起きている事を暗示している。トレンドのできるだけ早いうちに参加するのが上手なトレーダーである。

問題は、トレンドの始まりをどうやって認識するかだ。価格が移動平均を上回るのを(あるいは、下回るのを)確認してから参加するのは、明らかに愚かな方法だ。林輝太郎は「移動平均はダマシが少ない」と書いているが、ダマシが少ないとは換言すれば反応が遅すぎるという意味である。実際、株で1億円を儲けたというある女性は、小豆相場で移動平均を使った結果、大損害を出している。多分、陽線や陰線の本数を数えたり、トレンドラインを引いたりする方法の方が、移動平均を使う方法よりは相当ましなはずである。数ある移動平均以外の候補の中で、どれが最良なのかまでは私には分からない。移動平均でさえなければ、どれでもいいのかもしれない。

かつて私は、自分の相場心理をシステムとして用いた事がある。これは自分にとってある銘柄の価格が「もうだめだ」「これ以上は我慢できない」という水準になったら、新規に売買するというものだ。上昇中の相場をどの段階でトレンドに入ったと(つまり、今後もしばらくは上昇傾向が続くであろうと)宣言すべきかは、誰にとっても難しい問題だ。その区別を私は、自分の忍耐より価格が上か下かによって付けていたわけだ。もちろん相場が私の忍耐力なんぞを気に留めるはずはないのだが、この作戦はそれなりに上手く機能した。自分にとって我慢できない事態は、やがて他の人にとっても我慢しがたい事態を招くだろうし、私は相場に関しては比較的早くにパニックに陥るタイプだから、この方法だと人より早く売買に参加できたのだ。

ただし、注文があまりに殺到して自分の注文が通してもらえないケースもあった。他のトレーダーも一斉にパニックに陥る事が少なからずあったのだ。買い注文が翌日に持ち越され、前日に比べて大幅な高値を掴まされるのは、あまり気分の良い体験ではない。翌々日にまで注文が成立せず、結果として得られるはずだった儲けの大半を逃した事もある。相場の機嫌によって注文の成立が遅れるのであれば、いくら素早くトレンドの始まりを認識したところで無意味だ。要するに、移動平均を使うのと同様、この方法でも遅すぎるのだ。

当時よりもう少し賢くなった今の私は、これ以上は我慢できないだろうと思われる水準に、あらかじめ逆指し注文を置いている。ちょうど、「自分はこれ以上の損失は我慢できないはずだ」と思われる水準に損切り注文を置くのと同じ感覚で、新規の注文を置いているのだ。応募者多数の場合は先着順に注文を通すというルールがある以上、かつてのように「その時になってから」注文を出すのに比べて、こっちの方がずっと賢明なのだろうと思う。
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2005年01月14日

『主婦の私が一夜にしてビル・ゲイツ』

はや2週間。

●相場と関わっている関係上、書店に立ち寄ると必ずと言っていいほど覗くのが、投資関連のコーナーである。そして毎度の事ながら、その種類の豊富さには圧倒される。株ブームというよりは、株関連の本のブームなのではないかと錯覚するほどだ。

投資関連の本を書く連中を分類してみると、ラリー・ウィリアムズのような良識派、林輝太郎のようなやや良識派、推奨銘柄を公開して『的中率』を高める(書いた事を信じて誰かが推奨銘柄を買ってくれれば、その株は上がり易くなり、結果的に予想が的中するという寸法だ)と同時に、本の売上からの利益も見込むちゃっかり派、投資なんぞやったことはないがアドバイスは大好きなおせっかい派等に分ける事ができよう。私のような自己確認派はあまり本を書きたくないようだ。

右も左も分からない入門者にとって最もやっかいなのは、おそらくおせっかい派ではないかと思う。この人たちはファイナンシャルプランナーだの経済学者だのというおおげさな肩書きを有している事が多く、騙され易いど素人は彼らの威光にコロリと参ってしまうのだ。しかし、彼らのアドバイスや彼ら自身のトレードが上手く行く確率は、大学病院の教授の執刀する手術が成功する確率よりもはるかに低いのではないかと思う。教授ともなればさぞかし手術が上手いのだろうなどと思ってはならない。誰にとっても一日は24時間しかないのだし、論文や研究に時間を割(さ)けば割くほど手術という実践力の腕が鈍るのは当たり前なのだ。しかも、大学教授であれば執刀医に対するアドバイスに責任を持つかもしれないが、相場の世界における”教授”は”執刀医”もしくは実践家であるトレーダーに何の責任も感じていないのだ。

しかし、ここ数年の傾向として、別の無責任な層が本を書くようになってきたように思える。『素人の俺も儲かった』派である。彼らの本を見分けるのは実に簡単だ。『素人の私が相場でたちまち1億円儲けた』だの、『主婦の私が一夜にしてビル・ゲイツ』だの、まあとにかくそういった、日武会顔負けの凄いタイトルが付いているからだ。

彼らにはあなたを騙す意図はないのかもしれない。しかし、彼らの唱える”奥義”をマネするのは止めておいた方がいい。全財産をいっぺんに株にぶち込み、しかもたまたまバブルが発生すれば、買い方が正しかったかどうかには関わらず、その人は大金持ちになれるだろう。そのうちの何人かは、運が良かっただけなのだということにも気付かぬまま、ご丁寧にも本を書いて下さるかもしれない。しかし、その戦略は絶対マネしてはならない類の、危険なものである。バブルが発生するかどうかに関わりなく、つまりは運の良し悪しに関係なくそこそこ儲けさせてくれる戦略がどこかにあるなら、それこそがあなたのマネするべき正しい戦略なのだ。
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2004年12月28日

プロとアマチュアを分けるもの

商品先物市場、本日大納会。

●去年の自分と比べて、今年の自分は何が違うのか。何もないと言うのは寂しすぎるからあえて何かを挙げてみるとすれば、プロトレーダーになれたことが去年とは違う点かもしれない。無論、この世界に免許制度はないから、本人が「俺はプロです」って言えば自動的にその人はプロトレーダーなんだけどね。

でも、プロを自称するトレーダーのすべてが本当にプロだというわけではないよ。たとえば行き当たりばったりながらも幸運が続いて、数十万円の資金を300万円にまで膨らませたトレーダーがいた。彼は大胆にも、儲かったというだけでプロトレーダー宣言をしたんだ。それも、ネット上で何百人もの読者を相手にね。でも、当然ながら彼の幸運は長続きはしなかったんだな。ある日突然、彼の元から幸運が逃げ去ると、彼の資金は音を立てて崩れ始め、その大部分が水の泡になったんだ。

今のところ上手くいっているというだけでは、その戦略が正しいかどうかなんて分かりはしないんだ。愚かな戦略であっても、運次第では利益を出してくれるからね。我々トレーダーに必要なのは、常にではないにせよ、通常は上手くいく、そんな戦略を見つけることなのさ。

しかし、筆者はそれを見付けた。いや、訂正するよ。ずっと前から見付けてはいたんだ。ただ、欲望に負けて、上手く行くはずの戦略ではなくて、大儲けできるはずの戦略を採用してしまったのさ。運が良ければ大儲けできるという、危うい条件の付いた戦略をね。この点では、筆者は上に挙げた愚かなトレーダーと大差がなかったわけだ。違うのは、筆者は今では態度を改め、向こうは相変わらず愚かな戦略を採用し続けている、ということだね。

なぜ態度を改めたのかって?損を出し続け、ほとんど資金が消滅しかかったというのがきっかけではあるね。ただ、その種の危機なら以前にも経験済みだ。そして、前回はそれでも態度を改めなかった。今回は、つまり今年は何が違ったのかといえば、このブログで相場の真実に付いて偉そうに講釈を垂れたことが大きかったのだと思う。正しいトレードとは何かに付いて書く事が、結果として筆者を矯正してくれた。改心したからあの一連の記事が書けたのではなくて、あの記事を書いたから改心できたんだ。

するとどうだ。筆者の口座は再び持ち直し、利益を出してくれるようになった。もう筆者は大丈夫だ。欲望にも恐怖にも負けず、淡々と機械的にトレードが出来るようになった。運が筆者の口座に影響を及ぼすことはもはやない。ただ筆者の技術のみが、筆者の口座に影響を与え得る唯一の要素となったんだ。儲かっているからでも残高が多いからでもなく、ただ技術のゆえに宣言させていただきたい。2004年12月28日、筆者は今やプロのトレーダーであると。
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2004年12月14日

相場と泥棒

手首がポキポキ鳴るし痛いんですけど。

●札幌の話だったように記憶しているが、ある民家に泥棒が入ったそうだ。その男は食べられない日が長いこと続き、餓え死にするよりはと民家に侵入して米袋を盗ったのだった。問題は、その米袋があまりにも重かったことだ。少なくとも、飢えて痩せ細り、体力のないその男にとっては重すぎた。彼は運ぶ途中で米袋に押しつぶされてしまったのだ。

なんとも無様(ぶざま)な話だが、愚か者ではないはずのトレーダーもこれと似たようなことをやらかす。自分の体力(資金力)に見合った分量ではなく、それを大きく上回る分量を売買してしまうのである。もちろん、厚く張って予想が当たれば、大儲けができる。しかし、相場が予想を裏切った場合は悲劇だ。たくさんトレードする者は、たくさん損する者でもあるのだ。実際、初心者だった頃の私は、大儲けと同じくらいひんぱんに大損をしてきた。どうにか脱出し、それ以上損が膨らむのを防げたとしても、一度で数十万円もの損失を出すのはとても辛い経験だ。

大きなポジションの弊害はそれだけではない。損切りを遅らせるという副作用もあるのだ。米袋があまりに重いと、それを投げ出すのに苦労するのと同様である。本当は、ポジションが大きければ大きいほど、なおさら素早く損切りしなければならない。万が一相場がもっと悪い方向へ進めば、巨額の損失を抱え込むことになるからだ。しかし、大きなポジションを抱えたトレーダーには、それができないのである。大きな注文のもたらした大きな損失に怖気づいてしまうのだ。そして、ひとたび手仕舞い注文を出せば、その損失は現実のものとなってしまう。それよりは決済せずに持ち続ける方がいいのではないか。やがて相場が自分に都合のいい方向に動いてくれるかもしれないのだから_そんな風に思ってしまうのだ。溺れる者は藁をも掴むが、損勘定を抱えたトレーダーは幻想(藁以下だ)を掴んでしまうのである。まるで、病状がますます悪化しているのに、ガンの告知を受けたくないがないばかりに病院へ行くのを渋る人のようである。彼らはただただ現実を確定させたくないのである。それさえ避けられるなら、もっと損が膨らもうが病状が悪化しようがかまわないのである。

そして、悲劇は突然やって来る。資金をすべて吹き飛ばすほどに損失が膨らみ、ようやく重い腰をあげて損切り注文を出すはめになる。彼らは米袋に押しつぶされたのである。予測を間違えたからではなく、巨大すぎるポジションが彼らを破滅させたのである。

無論、損を維持して状況が好転する場合もある。大玉を建てるトレーダーがぼろ儲けをするケースもある。しかし、そんな幸運はまれである。控え目で正しいトレーダーはそういった成功談を読むと面白い気はしないだろうが、そんな時は、例の泥棒の話を思い出して自分を慰めると良い。彼は押しつぶされて身動きが取れなくなったところを御用となったのである。
posted by 窓使い at 18:39| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月01日

なぜ大きなポジションを取るのか

中国イラネ

●トレーダーはなぜ、大きなポジションを取りたがるのだろうか。それに関するラリー・ウイリアムズのコメントが雑誌『Futures(フューチャーズ 日本語版)』の2000年2月号に載っていたので紹介したい。「ビジネスや資金管理などといった事に明るい人間は私の家族にはいない。だから、私たちのやり方はできるだけたくさん儲けて、しかもリスクの心配をしないことだった。なぜなら、せいぜいが貧乏に逆戻りするだけで、私たち家族はすでにその状態にあったのだから」。

そしてこの考え方は、ウイリアムズ一家の出身ではないトレーダーにもあてはまる。利益を出したのだから、ちょっとぐらい多めに注文を入れて仮に損を出したとしても、せいぜいもう一度元本に出戻りになるだけだと考えるのだ。実際には、この考え方は間違いだ。確かに理想的な価格で脱出できれば、損を出しても元本を保護できるかも知れない。が、相場が何日も制限値幅いっぱいに動けば、あなたの損切り注文は通らない可能性があるのだ。結果、たくさんの注文がたくさんの損を抱え込み、仕切れるころには元本が割れるはめになる。

もちろん、元本が保護できるケースもあろう。しかし、我々トレーダーの目標は元本を維持することではなくそれを増やすことなのだから、振り出しに戻されかねない作戦よりは少しでも多くの金が残る作戦の方が勝っている。あるいは、たまたま相場が思惑通りに進み、ボロ儲けをするケースもあろう。有名な『マーケットの魔術師』には、その種の"プロ"の話がいくつか載っている。しかしながらその幸運があなたの元にも舞い降りるという保証はどこにもない。『マーケットの魔術師』に掲載される幸運な人がいる一方で、それに載らなかったどころか新聞のお悔やみ欄に載ってしまった人がいることを、絶対に忘れてはならない。

これらの理由のうちのいくつか_全部かも知れないが_によって、私もまた、かつてはとんでもない分量の注文を入れたものである。ある日のこと、小豆相場が底を入れたと勘違いした私は、ありったけの枚数を買った。なお悪いことに、そんな時に限ってストップロスオーダーを入れていなかった。やがて相場はあれよあれよと下落し、危険を知らせるブローカーからの"最後の審判"のような電話を受けて、ついに私は撤退を余儀無くされた。元本を全額(そう。全額である)吹き飛ばすどころかアシさえ出たという事実に、私はただただ震えおののいた。この時私は、生まれて初めて本気で怖いと思ったものだ。夢なら醒めてくれとすら願ったが、残念ながらそれは夢ではなかった。いつでも、また誰に対しても、勝ち負けの確率は50パーセントずつ存在すること、勝敗リスクが避けられない以上は、枚数を減らして破産リスクを回避するのが投資家にできる唯一最良の努力であるということを私が理解したのは、ずいぶん後になってからである。

ところでつい最近も、絶対儲かると思っていたポジションが損で終わった。どうやら今でも確率の神は、忠実に50パーセントの勝ちと50パーセントの負けを私に与え続けるつもりのようである。ただ一つ昔と違うのは、私の仕掛けた枚数がたったの一枚だけだったということだ。
posted by 窓使い at 20:48| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年11月12日

『保ち合い離れに付け』

アラファトおじさんさようなら。

●粗糖だったと思うが、一度とても痛い目に遭った事がある。ある日チャートをチェックすると、長い事上昇を続けていた価格が急落していた。このまま下がり続けると考えた私は、売り注文を入れた。天井を付けたと思ったのだ。

しかし、その後相場は逆方向に動いた。やむなく売り注文を損切りした。再度価格が下がったので、今度こそはと売り注文を出した。しかし、価格はまたもや反転し、私は損を出した。○×形式のテストで、ヤマを張るたびに正解がすり抜けていく感じだ。2、3度もそんないたちごっこを繰り返すと、さすがに嫌になって粗糖のトレードから撤退した。大損を出したが、その後粗糖は本格的な上昇を開始したのだから、たぶん撤退して良かったのだろうと思う。

それから数年が経過し、少しは私も上手くなった(と思う)。そして、あの時はいったい何が悪かったのだろうとふと考える。

似たような水準で価格が行ったり来たりを繰り返すパターンを、相場の世界ではボックス圏と呼ぶ。きっと、チャートの形が箱に押し込められたかのように密集して見える事からそう名付けられたのであろう。保ち合い(もちあい)とも呼ぶ。

あの時の私はボックス圏に捕らえられたわけだ。今なら、きっと同じへまはやらないのではないかと思う。上がるにしても下がるにしても、儲けというものは大きな動きからもたらされるものだ。動きが大きければ相場は簡単だ。大きく上がっている最中に買えば、たぶん翌日以降も上がり続けるだろうし、大きく下がっている最中に売れば、たぶん翌日以降も下がり続けるのだ。相場とは、そしてトレードとは、それくらい単純なのだ。

換言すれば、ボックス圏とはかかわりを持つべきではないのだ。それらしきものが始まったら、ポジションを外し、遠くからじっと見ていればそれで十分なのだ。再びポジションを入れるのは、トレンドが明確に確認できてからでも決して遅くはない。私のように、天井(ボックス圏が発生しやすい場所だ)で売ってやろうとかどん底で買ってやろうとかいうやましい考えを持つと、ボックス圏の上下動にしてやられる。『保ち合い離れに付け』との古来の格言は、トレンドに乗る事の重要性を説くと同時に、きっとボックス圏の危険をも説いているのだろう。

もちろん、ボックス圏の習性(似たような価格帯での上下動)を利用して、上手に儲ける人もいるだろう。たとえば、あなたがそこそこの資金を有しており、一度に3枚のポジションを持てる人だとしよう。一気に3枚注文してしまうのも方法だが、様子見で1枚買い、価格が下がったところでもう1枚買う、というのも方法だ。ボックス圏なら下がるとしてもたかが知れてる、という発想でポジションを作っていくわけだ。いわゆる逆張りである。3枚がいっぺんにマイナスにならない分、耐えやすい方法ではある。

しかし、私のように1枚売買するのが関の山のトレーダーは、おとなしくトレンドとのみダンスを踊るのがいいだろう。ちなみに最近、灯油がボックス圏を下に抜けたのを見計らってから売りを入れた。絶好のタイミングからは2、3日遅れたが、それでもちゃんと利益が乗っている。もう2度と、目の回るような激しいステップはご免だ。
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2004年11月04日

相場とギャンブル

祝・『未来少年コナン』放送開始。

●実は、相場で利益を上げるのはさほど難しい事ではない。いや、もっと正直に言おう。実は、相場というものは数学的に言えば、必ず勝てるものなのである。

もちろん、ただの一度も負けずに相場師としての生涯を終えることなど不可能である。なぜなら、勝つ確率と負ける確率は50パーセントずつ存在するからである。しかし、正しく売買してさえいれば、1年後、あるいは2年後かもしれないが、資産は必ず増えているはずだ。あなたが嫌だと言っても、金額的には必ず勝ち越しになってしまうのである。

なぜか。それは相場特有の有利さによる。ここで少し、相場とギャンブルの違いを考えてみよう。たとえば宝くじの場合、損失額は購入金額そのものである。つまり、仮にあなたが100円のくじを1枚買ったとすると、たとえ外れても(たいがいは外れるのだが)、100円以上の損にはならない。すなわち、損失は限定的である。そして利益は無限大である。厳密には1等幾らと決まっているので無限ではないが、儲かっても100円だけ、などという制限がない。ゆえにその利益は1万円だったり10万円だったり、場合によってはもっと多いかもしれない。この点は相場と同じである。相場もストップロス・オーダーによって損失額を制限できるし、利益の出たポジションを放置しておけば、理論上幾らでも利益が乗る。違うのは、相場の勝率が50パーセントもあるのに比べて、宝くじの場合は勝率が著しく低い事である。

勝率50パーセントのギャンブルもあるにはある。たとえばルーレットだ。赤か黒かに賭ければ、言うまでもなく勝率は50パーセントである。そして、損失は限定的である。2ドル賭ければ、損失もまた2ドルである。この点でルーレットは相場に良く似ている。幾ら損したら撤退する、という注文を入れておく手間があるものの、相場もまた損失額に制限をかけられるからだ。違うのは、ルーレットの場合は利益にまで制限がかかっている点である。要するに、的中させても2ドルしか儲からないのだ。

つまり、ギャンブルの胴元はとても頭がいいのである。客にとって儲けの大きい競技においては勝率を著しく低く設定し、逆に勝率の高い競技においては、客の儲けを著しく低く設定しているのである。

きっと、ギャンブルが好きな人は相場の有利さを知らないのであろう。もし勝率50パーセントの宝くじがあったら、買いたいと思わないだろうか。あるいは、赤か黒に賭けた場合、損失は限定的だが当たった場合の金額が青天井のルーレットがあったとすれば、やってみたいと思わないだろうか。相場なら、そうした都合のいい事が認められている。損は少し、利益はたくさん、そして勝率は50パーセントである。二分一の確率で負けてしまうが、長く生き残りさえすれば金額的には必ず勝ち越せるのが相場の世界なのである。
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2004年10月22日

押し目について思うこと

エース対決。

●押し目とは何だろうか。単純に言えば、それは上昇トレンドの最中の小さな下落のことである。上昇トレンドとは言っても、いかなるためらいもなしに上昇を続けることなどまずない。たいていは、しばらく上昇したかと思うと突然下落する。そして、さほど下げることなく再び上昇を開始するのである。それは登山に似ている。途中で休むこともあれば、障害物を避けて迂回することもある。途中で引き返すこともあろう。登山口まで引き返した場合は、押し目とは言わない。それは下降トレンドだったのである。少しだけ引き返し、すぐに登山を再開するなら、それは押し目である。

問題は、登山口まで本格的に下げるのか、途中で気が変わって再び上昇を始めるのか、価格が下げたその時点では予測が付かないことである。あなたがある銘柄を買っていて、何日も調子よく上昇しているとする。大儲けに気をよくしていた矢先、ある日突然、価格が下落した。さてどうすればいいのだろう。今後も下げ続けるのだろうか。下げるとすれば、いつまで、あるいはいくらまでなのだろうか。それが事前に分かれば迷うことなどない。持ち続けるか、それとも手仕舞うかを簡単に決定できる。しかし、その渦中にある時点では、その下落が継続的なものなのか、それとも一時的なものに過ぎないのか、判断するのが難しいのである。判断できるとすれば、それから1、2週間も経過してからである。その時初めて我々は、「結局あれは押し目であった」と言えるのである。

私は初日の下落の段階で、それが押し目に過ぎないのか、それとも下降トレンドの始まりなのかを察知できないかと考えたことがある。両者を分ける決定的な特徴が何かないかと探したが、それは無駄であった。押し目用の下落も、下降トレンド用の下落も存在しなかった。それは単なる下落であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。換言すれば、どんな下落であれ、下降トレンドを誘発させる資格を有しているのである。そのうちいくつかは、本当に下降トレンドを造る。価格の下落は言わば導火線である。そして、どの導火線に火が付くのかまでは、誰にも分からないのである。

そうであれば、「一体この下落は押し目になるのかどうなのか」などと気をもむ必要はない。それは、今日買ったあの銘柄が、上がるのか下がるのかと気をもむのと同じくらい愚かなことである。そんなことは誰にも分かりっこないのだ。我々にできることはといえば、損切り注文を入れて成り行きを見守ることだけである。恐らく損切りと同じ原則を、利益が出ている場合にも当てはめるべきなのだろう。

価格が予想どおり何日も上昇し、突然下落した。押し目かどうかなど、考える必要はない。「あと何円下がったら手仕舞う」「何日下がったら」「何パーセント下がったら」...方法はお任せするが、決済のポイントを決めておけばそれでいいのだ。結果的に下降トレンドが始まったら、無事に利益を確定できたことを喜べばいい。逆に、再び上昇を始めたら?その場合も、確定できた利益を喜べばいいのである。その後の上昇にも付いて行きたければ、新たに買い注文を出せば済むだけの話だ。
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2004年10月13日

負けを認める時

松中三冠王すげー。昨日気づいた。

●勝ちトレードがあれば負けトレードもある。それが相場である。実際、数学的に言えばトレードの半分は負けるはずなのである。トレードとは基本的に、上か下かを当てる競技だからである。だからこそ、予想を外した時にどうするかを前もって決めておくのが重要なのである。

ところで皆さんは、指揮者が記憶喪失にかかった時どうしているか、ご存知だろうか。何もかも忘れてしまうわけではないにせよ、せっかく暗記したスコアの次のページがどうしても浮かんでこない事くらいは、どの指揮者にでもあるのだ。そんな時に彼らがすることはただ一つである。すなわち、左手だけで適当にカッコつけるのである。そして記憶が蘇るのをじっと待つ。パニックに陥って、右手をあらぬ方向に動かしてはならない。オーケストラとはすなわち、指揮者の右手に反応するよう躾られている集団である。指揮者がむやみに右手を動かせば、オーケストラはその間違った指示に反応してしまい、その日の演奏会はパーになる。

指揮台の上の英雄がリスク管理をしているのであれば、さほど英雄ではない我々トレーダーは、なおのこと予期せぬ事態_実際には、必然的な事態なのだが_に、備えておく必要があろう。

さて、我々トレーダーにできるリスク管理とは、第一に枚数を減らすことである。枚数が少なければ、万が一(実際には、50パーセントもの高確率なのだが)損をしたとしても、少ない金額を失うだけで済む。我々のリスク管理は損する前からすでに始まっているのである。

第二に、損したらすぐに逃げることである。これは指揮者が、次のページを忘れたらすぐに右手を止めなければならないのと同様である。ぐずぐず右手を動かし続ける指揮者は、オーケストラばかりか聴衆にまで恥をさらしてしまう。同様に、損勘定になった銘柄を後生大事に抱え込むトレーダーは、ブローカーばかりか家族にまで恥をさらす結果となる。巨額の損失を埋め合わせるために、虎の子の貯金を切り崩すよう頼み込むはめに陥るのである。それすらままならぬほど大きく損したら?多分その人の嫁は、子供を連れて実家に帰ってしまうだろう。生涯を共にすることを誓った間柄とはいえ、現実は厳しいのである。そうした悲しい結末を、私は某所の掲示板で見た。

なぜ彼らは、そこまで損切り注文を出したくないのだろう。言い換えれば、もう少し我慢すれば相場が望みの方向に転換してくれる、との根拠のない希望に、なぜ囚われ続けるのだろう。実は小額投資家にとっては、損切りはさほど難しいことではない。問題は下手に金を持っている投資家である。いや、金を持っていることそれ自体は問題ではない。あまりにも多くの枚数をぶち込んでしまったこと_それが運命を分けたのである。

売りか買いかの注文は、トレーダーの予想を表す要素である。他方、枚数とはその予想に対するトレーダーの自信を表す要素である。自信があるからこそ分をわきまえない枚数をトレードするのである。たくさん注文する時、トレーダーはいわば、大声を出しているのである。よせばいいのに叫び声を上げるトレーダーもいる。そして万が一(何度も言うが、実際には万が一ではないのだが)予想が間違っていた時、それを認めるのが難しいのは小声を出した者ではなく、大声を出した者なのである。叫んだ者がどれだけ恥ずかしい思いをするかは言うまでもない。

要するに、彼らは恥をかくのが怖いのである。しかし、誰に対して?ブローカーは個々の顧客の損なんて気にしないし、トレードのことは家族には秘密にしているはずだ。損なんて自分だけの秘密にできるのだ_それが小さいうちは。だからこそ、枚数はできるだけ少なく、そして損切り注文はできるだけ早く、がトレーダーにとってよいリスク管理となるのである。
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2004年10月12日

鞘(さや)取りでGO!(その2)

前回の続き。さて、ここからが本題である。

すでに述べたように、鞘取りにおいては価格差さえ的中させてしまえば、個々の銘柄の値動きは気にしなくてもいい...はずである。問題は、その予想が決して簡単ではない、という点である。

たとえば、銘柄(乙)と銘柄(甲)の平均的な価格差は500円かもしれない。そして現在の価格差は300円であり、これらの銘柄は遠からず500円という価格差を再び取り戻すのかもしれない。しかし、それはいつのことなのだろうか。1か月後だろうか。それとも半年後なのだろうか。そしてその期間の間、思わぬ出来事が生じる可能性はないのだろうか。たとえば、価格差が300円からもっと縮小してしまう、といったような。つまり両者の価格が接近し、100円とか50円とかになってしまうような事態は起きないのだろうか。そうなったら悲劇である。

300円から価格差が拡くことを予想したトレーダーは、それに準じた注文を出すであろう。つまり、上昇を狙って1300円の銘柄(乙)を買い、下落を狙って1000円の銘柄(甲)を売る。そして両者の価格差が500円になるまでじっと待つ。しかし、仮に価格差が予想に反してもっと縮まったらどうだろうか。たとえば銘柄(乙)が1200円になり、銘柄(甲)が1100円になったら。その時このトレーダーは、両方の銘柄で損を出す。上がると予想したものが下がり、下がると予想したものが上がったからである。この点で鞘取りは、前に述べた分散投資とまったく同じである。すべての銘柄が一斉に損する可能性があるからである。唯一異なっているものがあるとすれば、分散投資が『他の銘柄の影響を受けないよう』できるだけ関連が薄いはずの銘柄を選択するのに対し、鞘取りの方は関連性が濃いと思われる銘柄を選択することくらいなものである。

多少の損は耐えられるって?だったらこんなケースはどうだろう。すなわち、1300円だった銘柄が900円に。1000円だった銘柄が1200円に。そんな極端なケースでも耐えられるだろうか。下手すれば追い証である。安全とされる鞘取りで追い証なのである。価格の上下関係がひっくりかえってしまうような、そんな値動きはありえないなどと思ってはならない。『上下関係を維持しろ』だの『銘柄(乙)は銘柄(甲)を下まわってはならない』だの、そんな法律はどこにもないのである。そして、過去実際にそんなケースがあったのである。もしご利用のチャートサービスが複数の銘柄の表示に対応しているなら、ぜひ今年2004年の灯油とガソリンを表示させてみていただきたいと思う。

要するに、筆者の結論はこうである。安全な投資などないのである。それは安全な原発がないのと同じくらい確実である。しかし、比較的安全な運用方法ならある。それは、原発においては分散することであり、投資においてはむやみに分散しないことである。その名目が鞘取りだろうとなんだろうと、分散は自動的に多くの枚数をトレーダーに要求してくる。そしてトレーダーが破産する理由は、枚数を増やし過ぎたからなのである。
posted by 窓使い at 06:05| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月09日

鞘(さや)取りでGO!

ガンダムまた開始。戦争好きでつね。( ´ω`)

●『分散でGO!』の続き。

では、複数枚を投じながらも比較的安全とされる、鞘(さや)取りと呼ばれる手法についてはどうだろうか。

鞘取りとは耳慣れない言葉だと思うので、一応解説しておく。株であれ商品先物取り引きであれ、相場師が検討するのは、ある銘柄の価格が上がるか下がるかである。価格が予想通りに動けば利益となる。しかし、相場をやる人間にはもう1種類いて、彼らがやっているのが鞘取りなのである。

彼らはまず、関連した(あるいは、関連があると思われる)2つの銘柄を選択する。たとえば、灯油とガソリンといった具合である。そして、彼らは価格ではなく価格の差を予想するのである。たとえば灯油とガソリンの差が、通常は500円程度であったとする。灯油が1300円でガソリンが800円の場合、この時の価格差(鞘)は平均的である。しかし、価格差はつねに一定であるとは限らない。500円程度であるはずのものが300円にまで縮まったり、逆に1200円まで拡大するかもしれない。鞘は縮小と拡大を繰り返すのだ。鞘取りトレーダーはここに目を付けるのである。つまり、今現在の価格差が300円であった場合、遅かれ早かれ500円程度にまで戻すであろうと。

さて、灯油が今1300円でガソリンが1000円の場合、この時の価格差は平均的なそれよりも明らかに縮んでいる。やがては平均的な価格差に戻る(この場合は、500円程度まで拡がる)だろうから、その予想にもとづいて注文を出す。すなわち、ここから両者の価格差が拡大するとは灯油価格が上昇し、ガソリンのそれが下落することを意味するであろうから(分かります?)、灯油買い・ガソリン売りの注文を出すのだ(商品先物取り引きの場合は買うだけではなく、売ることもできる。方向さえ合ってれば利益になるのだ)。あとは毎日チャートを見て、価格差が本当に500円になった時点で決済する。たとえば灯油が1400円に上昇し、ガソリンが900円にまで下落すれば、この時点で両者の価格差は適正な値に戻ったことになる。しかも灯油で100円の上昇、ガソリンで100円の下落をそれぞれ的中させている。この相場師は200円の儲けを出したのである。

さて、鞘取りが一般的な取り引きよりも安全であるとされている理由についても述べておきたい。価格差が拡大すると単純に言っても、取りうるパターンは上に挙げたものの他にもある。たとえば、灯油が1300円から1700円へ、ガソリンは1000円から1200円へと動くかもしれない。この場合も価格差は300円から500円へと変化している。そして、相場師の取り分はやはり200円である。なぜなら、灯油の予想を的中させて400円儲け、ガソリンの予想を外して200円損しているからである。要するに、価格差の予想さえ的中させてしまえば、あとは個々の銘柄の値動きがどうなろうと知ったことではないのである。鞘取りが安全とされる所以(ゆえん)である。

続きはまた。
posted by 窓使い at 23:41| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月07日

分散でGO!

井川太ったな。

●資金は分散して運用する方が安全なのだろうか。

そのとおりだと考える人たちは多い。彼らの発想はこうである。すなわち、あっちで損してもこっちで利益を出せば損失が相殺される、そう考えるのだ。実際、分野によってはだが、分散が安全をもたらすこともある。

たとえば、都市計画がそうである。あなたが都市計画を委ねられたなら、決してそのど真ん中に原発を建造したりはしないだろう。ミサイルをぶち込まれて都市機能がまひするだけでも大変なのに、放射線が漏れてしまっては目も当てられないからだ。地震や火災も心配だし、仮に事故を起こさなくても、原発が存在するだけで土地不足に拍車をかけてしまう。したがって、田舎に危険を押しつけようという意図があろうとなかろうと、原発は都市から離さざるをえないのである。

同様に、多くの人は分散こそ安全の鍵であると考えている。しかし、都市計画とは違って、資金の分散は非常に危険である。地震は普通、一個所でしか起きないし、火災もまたそうである。だからこそ、都市と原発の距離を離すことが安全につながるのである。相場はそうではない。一斉に上がったり下がったりするのが相場なのである。

皆さんはどうお考えになるだろうか。たとえば今、あなたの手元に100万円の現金があったとする。遊ばせておくのももったいないから、ひとつボランティア精神を発揮して、友人知己に貸し出すことにした。さて、もっともリスクの少ない貸し付け方法とは、いかなるものだろうか。あなただったら、あの人に1万円、この人にも1万円という貸し方をするだろうか。私だったらそんなまねはしない。私なら、最も信用できる友人に1万円だけ貸し付ける。これなら万が一お金が返って来なくても、損害は1万円である。同じ人間に50万も100万も貸すのは愚か者なのである。同様に、50人に、あるいは100人に1万円づつ貸すのも充分危険である。それは実質的に、一人の人間に50万ないし100万をぶち込んでいるのと同じである。なぜなら、全員が借金を返してくれる可能性もあるし、全員が踏み倒す可能性もあるからである。1箇所に、1万円。これこそが、リスクを最小限にする秘訣なのである。

だからこそ私は、あちこちの銘柄に手を出すことに反対なのである。分散とは枚数が増えるという意味であり、枚数が増えるとは資金を減らす可能性が増えるという意味である。銘柄は一つに絞り、最小の枚数だけを売買するべきである。なお、リスクを限定するための分散投資も机上の空論だが、『よりいっそう儲ける』ための分散も愚の骨頂である。動機が何であれ、分散はだめだ。おいしそうな値動きの銘柄がいくつもあるからといって、あっちもこっちも建て玉してはならない。そんな人は相場をナメているのである。まるでかつての私のようである。そして、正直に告白するが、私はおかげ様で酷い目に遭ったのである。

どんな目に遭ったかはあまり言いたくない。
posted by 窓使い at 21:47| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月11日

先物取引雑感

モバギが欲すい。

●トレーダーとしてはすでにベテランの域に達しているのに、なぜ僕は金持ちになっていないのだろう。もちろん、ラリー・ウイリアムズと同じくらいの成功でなくとも良い。だが、年10倍程度の、相場師としては極めて控えめなパフォーマンスさえあれば、それだけで今ごろは小金持ち程度にはなっているはずなのだ。ところが僕は、小金持ちどころか貧乏ですらある。チャートを読むという、一般人にない能力を持ちながら、それに見合った報酬を得ていないのである。

要するに僕には予言する能力はあるのだが、それを金に換える技術がないのだ。これではだめだ。我々トレーダーの目標は、当てることではなく稼ぐことであるはずだ。換言すれば、我々は超能力者である必要はないのだ。たとえ偶然であっても、チャートが読めなくても、相場で稼げるのであれば僕よりはましである。

当てる能力があって稼ぐ能力がないというのは、一般の人には不思議だろうから解説しておく。相場とは直線的に上昇したり下降したりするものではない。たとえば、上昇を見込んで実際そのとおりになったとしても、良く見ると少し下がっては大きく上げ、また少し下がっては大きく上げ...といったパターンを描く。買ったとたんに少し下げることもあるわけだ。この、少しの下げがくせものなのだ。少しの下げとはいえ、実際に資金を投入して買っている者にとってはけっこう恐い。予想が外れて本格的に下げ始めたら困るから、一応撤退のポイントを決めておく。たとえば、1万円までは我慢するけどそれ以上損が膨らむようなら一時撤退する、という具合に。この損切りの設定額が適切であれば何も問題はない。が、相場というやつは往々にして、損切りの金額をちょっとだけ突き抜けてから思惑通りに進むのだ。買って、1万1千円下がって、それから大きく上昇する、といった具合に。

1枚だけ売買するなら良いのだが、10枚も買っていたらもうだめだ。1枚当たりたった千円の逆行でも、あっさり合計の損失が1万円に達するため、がまんできずに撤退する。そして、撤退した後で予想通り相場が上昇し、ぼう然とするわけだ。場合によっては1枚当たり一気に1万円の損失を出してしまうかもしれない。合計では10万円だ。こんな金額を毎回失っていたら、遅かれ早かれ相場から退場させられる事になろう。

要するに、一時的な損失という不可抗力に加えて、身の程知らずな枚数を注文してしまうことが問題なのだ。

だったら毎回1枚だけ売買すれば良いのではないかと思われるだろう。まったくもってそのとおりである。しかし、これまでの僕にはそれが難しかったのである。ついつい何枚もドカンと投入してしまうのである。なにしろ、僕は相場の先行きが読めてしまう人なのだから。
posted by 窓使い at 18:09| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月03日

再び前線へ

本日、日ハムも署名予定。

●せっかく作った「相場」のカテゴリ−なので、今日久々に埋めてみる。

実は、僕は相場で食っている。生活のすべてではないにせよ、生活費の何割かは、先物取り引きで損をした誰かから頂いている。給与収入だけでは生活していけず、何らかの副業をせざるを得ないのだ。しかし、ここ最近の僕は、お世辞にもトレ−ダ−の一人であるとは言い難かった。連戦連敗のせいで、相場に対して冷めてしまったのだ。恐くなったとも言える。要するに負け犬であり、これ以上負ける事から身を守るために、一時撤退したのだった。

言い訳をさせてもらえば、トレ−ドを休む事は、恥でも何でもない。相場に負けは付き物だし、一年のうちの何回かは、極めて調子の悪い時期が訪れるのだ。そんな時に意地を張ったり新規の玉を張ったりするべきではないのだ。病気になったら休む。自分が相場からずれてしまっている事に早めに気づき、休暇を入れるのは重要な事だ。無理をすれば風邪は簡単に肺炎になる。そして誰も看病に来てくれるわけはないのだ。それどころか、弱った隙に寝込みを襲われたりしかねない、そんな世界なのだ。もちろん、比喩的な意味でだが。

10万をも下回る、笑えるくらい少ない資金量で僕の今年の勝負は始まった。そして2、3ヶ月で資金は30万以上になった。しかし、どうにも相場と波長が合わない。分かり切った局面で資金の投入を躊躇し、どうでもいいような基本的な間違いで損をした。そしてついに、僕はチャ−トが読めなくなった。価格が上がるのか下がるのか、判断できなくなってしまったのだ。なお悪い事に、それでも僕は売買を続けたのだった。20万程度にまで資金を減らしたところで、僕はようやく異変に気づいた。いや。訂正する。ずっと前から気づいてはいた。ただし、損失が痛くなかったのだ。遅ればせながらようやく心という名の相場における神経は、痛いという警報を発した。そして僕は相場からの撤退を決めた。不快指数が頂点に達すれば、どんな怠け者でも部屋を掃除するし、病人は病院に行くし、相場師は売買を休むのである。(相場師は"一生懸命"売買を休むのだ。分かってもらえないと思うけど。)

しかし、僕は復帰した。久々にチャ−トを見ると、僕がいない間にぼろ儲けをした人がいるようだ。不思議と惜しい気はしない。あれは僕の相場ではなかったのだ。自分の稼げるところで稼げば良い。ただそれだけだ。
posted by 窓使い at 18:00| ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月18日

帰還♪

ご無事で何より。

●最近ちょこっと株なんぞに興味が沸いて来た筆者。もしくはわたくし。
で、ちょこっと検索なんぞしてみたんですけど。

株の信用取引ってアレですか。
商品先物取引みたいなもんですか。
だってさー。

・新規に売り注文が出せる。
・決済の期限がある。塩漬けにできない。
・担保を入れなければならない。

これってまさしく商品先物取引。
ただねー。
株の信用取引の場合、担保ってのがクセモノでね。
なんと、最低30万円。法律で決まってるらしいです。

高!

本物の商品先物取り引きなら、証拠金(担保)めちゃめちゃ安いですよ。
たとえば中部灯油と言う銘柄なら、1枚21000円。これだけで取り引きできるんですよ。
他にかかるのは手数料くらい。これとて、業者によっては数百円でやらせてくれるし。

うーん。筆者、もうしばらくは商品先物取引だけで良いや。
一応、株の口座自体は持ってるんですけどねえ。
ミニ株で信用取引が出来るようにならないですかね。

********************

↓ここに恐ろしいことが色々書いてあります。
日興イージートレード
https://eztrade.nikko.co.jp/000_6001.html

『約定代金の50%以上(うち10%以上は現金)かつ30万円以上が必要となります。』
じゃ、ある銘柄を100万で買ったら、30万プラス20万必要なんですか?
ひえー。

『当社へお預けいただいている資産総額が300万円以上のお客様にご利用いただけます。』
すいません。出直してきます。
posted by 窓使い at 09:05| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 相場 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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