2005年02月08日

高卒の遠吠え

雪像、まだ溶けてない?

●もはや大卒が常識と化した日本なのに、なぜ筆者は高卒なのかというと。親にそういう経済力がなかったというのもあるのだけど、実は筆者、学校アレルギーなのね。あの無機的な建造物も集団生活も、筆者にはストレスだった。勉強はそんなにキライじゃなかった...と思う。自慢にはならんけど、高校のクラスでなら成績がトップになった事もあったからね。まあそんなにできない人ではなかったのだと思う。当時の担任にも、ニコニコ目線で大学への進学を奨められたし。でも生来の学校嫌いはいかんともしがたく。結果、筆者の学歴は高校卒業にて終了した。大学という環境が意外に自由な場所だという事を知ったのは、卒業後だいぶ経ってからの事だよ。

学校という環境からいち早く解放されたのと引き換えに、デメリットも享受した。高卒というのは就職転職給与その他の方面で、大学進学&ご卒業おめでとうございますな人たちに比べると、想像以上に不利なんだよね。世間様の差別や逆風を感じた事も、一度や二度ではないよ。

「じゃあ貴様は日々、悲しみのあまり部屋の片隅で体育座りをしておるのだな?大学に行けなかったおのれの境遇を呪っておるのだな?」と聞かれれば、これが意外とさにあらずなんだけどね。むしろ失礼ながら、大卒者を下に見ている面すらあるかもしれない。相場の技術を高めてついにはプロの領域にまでたどりついたし、ある古い外国語の理解においては筆者は多分学者クラスだ。「高卒が独学でここまでスキルを高めてやったぜ」的な自負が、低学歴でありながらも筆者の劣等感をさほど成長させずにいるのだろう。

まあだからといって、世間様が感心してくれたり、「恐れ入りました」と頭を下げてくれる保証はどこにもないんだけどね。大卒という看板が何よりも重要な人たちから見れば、どんなに筆者が実力を付けようと、「しょせんは高卒」の一言で片づけられてしまうだろう。だから、高卒で自らの学歴にピリオドを打つつもりの後輩君らに言っておくけど、大卒者のいる環境に飛び込むつもりなら、逆風がある事は想定しておいた方がいいよ。

要は、自分がそれにどれだけ満足できるかという事だね。「勝ち組(世間的な評価)」よりも「満足組(自己による評価)」を優先させられるなら、そして大学へ行く時間がもったいないなら、高卒という生き方もありだ。ただし、「大学へ行くだけが人生じゃない」と公言したり、大卒者を説得しようなどとは思わない事。そんなのは落第点を取ったやつが「テストでいい点を取るだけが人生じゃない」と主張するのと同じで、説得力がないからね。筆者も、自分が大卒者になろうとまでは思わないけど、だからといって大卒者の批判はしないよ。

ところで昨年、三十路&未婚・子無しの女性を扱った、「負け犬の遠吠え」なる本がヒットしたよね。最初タイトルだけを目にした時は、いくらなんでも「負け犬」呼ばわりは未婚女性に対して失礼じゃないかと思ったけど、よくよく内容を調べてみたら、世間からは負け犬扱いをされるから大変なのよあたしもね、的な本であるらしいよ。ならよし。世間的には負け犬であるはずの筆者にも共感できそうなので、今度読んでみたいと思たあるよ。
posted by 窓使い at 20:49| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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