2005年03月17日

幼い両親は若くして離婚した

コナンいつ終わる。

●僕の両親は、僕が小学生の頃に離婚した。ある日ふと気が付くと、僕の家(ずいぶん古いアパートだった)で夫婦の今後を巡って親戚会議が開かれており、それらの大人達に混じって僕や弟もなんとなくその場に座っていたのだった。やがて離婚せよとの判決が下されると、性格がまるで違うはずの僕らだったが、その時だけは仲良く同時に泣き叫んだのだった。大人達の意見は一致し、僕ら兄弟の意見もまた、別の意味で一致した。

別に僕の両親とて、最初から仲が悪かったわけではない。古い記憶をあれこれたぐり寄せてみても、脳裏に浮かぶのは仲良くじゃれ合う夫婦の姿だけだ。そこそこ顔だちの整った妻と、会社でそこそこ高い地位を築いた夫、それが彼らだった。二人が中卒だとか(信じられないかもしれないが、彼らは中卒なのだ)、あまりにも若くして結婚したとか、不利な要素はあったけど、それらの要素とて離婚の決定的な要因にはならないだろう。一体なぜ、あんなにいさかいの絶えない関係になってしまったのか理解に苦しむ。

ちょっとした変化として思い付くのは、母が仕事を始めた事だ。ある日何を思ったのか、それまで専業主婦だった母が突然働きに出た。困窮していたわけではないから、家計を支えようなどといった殊勝な理由があったのではないだろう。おそらく近所の奥さん連中との間で、子育ても一服したし商売でも始めようという話にでもになったのではあるまいか。問題は、パソコンもインターネットもまだ一般的ではなかったその当時、主婦がやる商売といえば水商売と相場が決まっていた事だ。僕の母は、夜の女となったのだ。

最初の夫婦喧嘩がいつの事だったのかはよく覚えていない。喧嘩の原因が、妻の職業に対する夫の嫌悪感にあったのか、妻が夫の浪費癖を非難したためなのか、その辺りの事情も良く分からない。しかし原因はどうであれ、かつては仲良しだった夫婦はひんぱんに口喧嘩をするようになった。僕ら子どもは、株価の暴落を黙って見つめるしかない投資家のように、不安な面もちで二人のやり取りを見つめたものだ。

やがて母親は、子どもを連れて親戚の家にやって来た。ずいぶんと長くお世話になったように記憶している。今にして思えば、いわゆる別居状態というやつだったのだろう。かなりの日数をその家で過ごした後、その家の近辺の学校に僕らを転校させようという大袈裟な提案まで飛び出したが、それを気の毒に思った母は再び夫のいる家に戻った。

しばらくしてからどういうわけか、母親は家から忽然と姿を消した。僕らと一緒に、ではなくて僕らを残して、である。これはかつてない異常事態である。やがて、母と僕らがやっかいになった母方の親戚の家に、父と僕らは召集をかけられた。そこで何事かが話し合われ、さらにもう一度、今度は僕らの家で、父方母方双方の親戚が集まって親戚会議が開かれた。いつの間にか母親もその場に出席していた。結局、僕の両親は離婚する事となり、僕ら兄弟は上で述べたように、これ以上はないというくらい激しく泣いた。判決の骨子は、母が家を出て行き、僕ら兄弟はその家に父親と共に残されるという事らしかった。
posted by 窓使い at 20:44| ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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