2005年03月07日

電車の中心で無実を叫ぶ

「窓使いの憂鬱」、もうじき終了。

●「私は絶対していないのに、認めてしまいました。まさか自分がこんなことに巻き込まれるとは思わず・・駅員室にいけば、無実が証明されると思っていましたが、それが一番の誤りでした。もうこの事実は消えません。私はしていないのに、早く帰りたいために、警察がいうように認めて罰金刑を受けました。後悔してもしきれません。本当に悔しいです。自分が無知すぎたのも駄目でした。あの取調べは思い出したくもありません。皆さんも気をつけてください。」

これは今年2月17日に「教えて!goo」に投稿された、mmmgggさんの悲痛な叫びである。彼は痴漢を疑われた被害者である。

電車内での痴漢行為は後を断たないが、それに加えて冤罪事件も後を断たないようである。一体、なぜこうも痴漢の冤罪事件が多いのだろう。

もちろん、一番悪いのは"被害者"の女性たちである。誰かの鞄がぶつかれば触られたと思い込み、誰かに痴漢されればたまたま近くにいたおじさんを犯人扱いする。早とちりな女たちは、かように無責任な生き物なのである。*余談だが、ある会社のお局様は、男性社員が近づいただけで(お茶を持って来てくれただけで)「セクハラ!」と叫ぶそうだ。そのくせ、廊下ですれ違いざまに「あーら○○君、いいお尻してるわね!」等と言って触って来るらしい。

しかし、誰にでも勘違いはあるだろう。たとえ勘違いで捕まったところで、警察や裁判所が証拠不十分を理由に帰してくれれば、誤解が冤罪事件にまで発展する事はあるまい。それなのに、痴漢の冤罪事件は後を断たない。これはもう、背後に何か構造的な欠陥があるものと考えた方が良さそうだ。

冤罪を産む構造的な欠陥とは何か。それについて教えてくれる興味深い本がある。鈴木健夫氏による「ばくは痴漢じゃない!」(新潮文庫)である。要旨をamazonのレビュアーがまとめてくれているが、それによると日本では、被害者女性の証言のみを信用するのが裁判のお約束らしいのである。そういう原則なのである。要するに裁判をやる前から、すでに判決が出てしまっているのだ。

それにしてもなぜ、被害者女性の証言はそうも信用されるのだろう。もしかすると、「恥を忍んで告発したのだから、その女性の証言は信用に値する」という思い込みが、裁判官も含めて我々日本人にはあるのかもしれない。*そういえば私は従軍慰安婦の言う、レイプされたとかいう告発も、それが基準で信用されているのいないのという話を聞いた事がある。

もちろん恥を忍んでの告発は、拝聴には値する。しかし、信用に値するかどうかまでは分からないではないか。勘違いや思い込みだけで、人は容易に他者を断罪し得るのだから。そもそも満員電車で実際に痴漢されたとして、触れて来たのが誰の手かを、彼女たちはどうやって判断しているのだろう。

ましてやこの国からは、恥という概念が急速に失われているのだから、なおさらだ。私はある日、バス停で自分のスカートをまくり上げ、パンツを彼氏に鑑賞させている女子高生を見た事すらある。これは本当の話である。

きっと今の日本には、「恥を忍んで」の告発などないのだ。あるのは恥知らずの告発だけだ。なんとなくムカついたから、あるいは示談金目当てに、平気で他人を陥れる。その後告発された男性がどうなろうと、彼女たちには知った事ではないのだろう。だから恥という概念が消失した世代による、「痴漢された」という告発を真に受けてはならない。ましてや恥という概念がそもそも存在した事のない国から民族衣装を着た女性がやって来て、「日本兵にレイプされた」と訴えたからといって、罪悪感を感じてはならない。いまや言いがかりは、一種のビジネスなのだ。
posted by 窓使い at 19:28| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事ネタっぽい | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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